●自分とは異なるものを受け入れる
この年齢になっても、行うのが難しいなと思ってしまうことはたくさんあります。特に最近難しさを感じているのは、自分とはモノの見方、感じ方が異なる人と関わることです。
若い頃は気にもならなかったことが引っかかります。「なんでこんな風に考えるのか?」「どうしてもっと行動しないのか?」「なんで、ここでこういう発言をするのか?」等々。
以前は「きっとこうなんだろう」と理解を示せたり、解釈できたことが難しくなっています。
齢を重ねることによって、工夫する能力や努力する胆力が低下しているのでしょうか? 驚くことに「最近の若いモンは」とつぶやくこともあるし、「いい年してそれはおかしい」と憤慨することもあるのです。
元々「こうあるべき」という信念というか思いは少なく、臨機応変の権化だったのですが・・・。
自分だけが頑固になっている、固くなっていると落ち込むこともありましたが、これは50歳以上の他の人にも共通している事象ではないかと、この頃感じています。
研修でお会いする管理職にも多い現象だと思うのです。私たちは仕事でずっと頑張ってきました。辛いことも多かったけど、それらを克服して今があります。評価も受けているし、自分でも「まぁ、上出来だ」と思っています。
ところが、それが大きな落とし穴のようです。人は皆、それぞれに頑張ってここまで来ているのですが、頑張ったと思えば思うほど、「初心」は遠ざかり、「謙虚」さを忘れさせるのです。人を受け入れにくくなり、自分の価値観だけが正しいと勘違いしてしまうのです。
私たちはいずれビジネスの現場から去ります。でも人生はそれからも終わりまでずっと続きます。人としての役割に終わりはなく、最後までいろいろな役割を担っていかなくてなりません。
そしてつくづく思うことは、様々な価値観があるから人生は面白く、魅力に溢れているのだということです。
「自分だけが」という気持ちを解き放つと、見えて来るモノが増えるのです。それに、「もうこの齢だから、穏便に」とか、「そろそろ楽に過ごしたい」とか思ってしまうのはもったいないのです。
次の頑張り方を考えることは、自分の今までを肯定することであると思う今日この頃です。私の次の頑張りの対象は「初めてのことを始める」ことにしようかなと思っています。