●後から分かることが多過ぎる

 

大病を患った8年前。この病気についてドクターや理学療法士からたくさんの説明を聞きました。というか、聞いた気がします。

 

「ずっと降圧剤を投与すること」「半年たったら医療としてのリハビリが終わること」「元に戻ることはないこと」「日常生活を一人で行えるように独自にリハビリすること」等々。

 

随分聞いたはずなのに、違うドクターや理学療法士からもたくさんのことを聞いたはずなのに、実は殆ど覚えていないのです。

 

勿論、精神的にも動揺していたり、知らない分野のことなので、記憶があいまいということもあるとは思いますが、話を一緒に聞いた家の者も、友人も覚えていないのです。

大変なことになったという気持ちの記憶はあるのですが・・・。

 

その原因を私なりに分析すると、一つのキーワードが浮かびます。それは、『想像がつかない』です。

 

私の病気の場合は、家族や知人に麻痺患者がいないし、「麻痺がどういうものか? 麻痺の生活はどんなことがあるのか?」全く未知のことでした。ですから色々言われても、私だけではなく、周囲も想像が及びませんでした。

 

これと同じことが後輩や部下の指導にも起こります。指導者は通って来た道ですから、「これからどういうことが起こるか? 何をすれば良いのか?」が分かっています。ですからその経験を元に指導を行います。経験を元に話をします。

 

でもです。経験をしたことのない人間にとっては、「ああせい、こうせい」と言われても、「これからどういう状況になるのか?」が想像できないのです。

想像できないから、言われたことが腑に落ちないのです。納得できないから覚えられないのです。そのためアドバイスや指導が身に付かないのです。

 

すべきことをただ伝えるだけでは、相手には伝わらないのです。何故すべきなのかの理由やその前後の状況を伝えないと分からないのです。

 

もちろん経験を積めば後から言われたことが分かることも多いです。私の場合も8年の経験が理解を推進させました。でもそれは自分でそれなりに頑張った結果だと思っています。ドクターや理学療法士の皆さんには悪いのですが・・・。

 

上司や先輩は、部下や後輩に、なぜこうすべきなのかを想像させられる指導を、腹に落ちる伝え方をしないと、そしてそこに注力しないと、せっかくの指導が徒労に終わってしまうと思うのです。経験すれば後から分かるでは指導ではないと思うのです。

 

 

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