心が届かないもどかしさと脱力感

共通言語を持たない国の人とでも、身振りや手振りや表情で、自分の感情を伝えられることもあります。片言でも共通言語があれば、相手が自分に好意的な感情を持ってくれていれば、尚更伝え易くなります。

それなのに、同じ日本語という共通言語を持ち、しかも互いに好意的な感情を持っていても、言葉が届かないこともあります。

正確に相手を理解することは難しい、自分を正確に理解してもらうことは難しいと、研修の場で度重ねて言ってきて、それを理解しているつもりの私でも、この状態はとても堪えます。突然大海原に一人取り残されたような哀しさが襲ってきます。自分が愚かな存在なのだろうかという思いに怯えます。

 

「人は人によって磨かれる」を座右の銘にしていますが、伝わらない言葉や感情を思うと、信念が揺らぎます。自分は歩み寄っているという思いが、尚更もどかしさと虚しさを増幅させます。「自分の言葉にうなずいているのは自分だけ」という現実は心にダメージを与えます。

本当に人と関わるのは難しい…、でも関わらないで人生を過ごす勇気もない。こんなジレンマに陥って、心を塞いでしまう人が増えています。

傷ついても話したい、自分の心を届けたいと足掻くという状況は一体何なのでしょうか?人は一人では生きていけないということの証明なのでしょうか?

何か打開策を考えたいともがいて、一喜一憂していた日曜の午後でした。

 

 

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