ていねいに暮らす
今日のお題は哲学者の森岡正博氏が今週の日経新聞夕刊らいふ・コラム欄に書かれた言葉です。
私の最近の目標と一緒なので、目に留まりました。私の場合の「ていねい」は時間と生活を大事にするために「自分で考える」ことに繋がっています。
体が不自由なので「便利」な生活ツールは今の私には必要不可欠ですが、それに頼りすぎて「考える」習慣を失わないように注意しています。この「便利」な生活ツールとは、食事の出前、出来合いの総菜、すぐ検索できる情報、仲間がくれる新聞の切り抜き等、便利で重宝なのでつい頼りすぎて、心地の良い思考停止状態から、「考えない症候群」や「慢性考えない疾患」になってしまう恐れがあります。中々の曲者です。
書籍や雑誌をよく読みますが、得意の早業でザッと斜め読みして「はい、これで内容理解!」という姿勢でした。今は腰を据えてキチンと目を通すように努めています。特に雑誌はよく見ると隅々まで色々な情報が載っていて、最近ではほんの小さな記事に大きく感心してしまいます。発症前は「ポイントだけかいつまんで教えて」という私でしたが、今は徐々に「ていねい」な読み方、理解の仕方に移行しています。
もう一つ「ていねい」には人との繋がりもあります。高校時代のクラスメイトが神楽坂にある「いきいき」というお店の店長をしています。
先日初めて訪問してみたら、とても面白いお店でした。たまたま彼女とも会えて少しお話も出来ました。少し前から知っていたのですから、もっと早く訪問すれば良かったです。その時に、彼女が高校時代の別のクラスメイトの男子を話題に出してくれました。とても懐かしい名前であると同時に「あ?、私は出会った人達にもっと執着して細い糸を繋ぐことをしておけばよかった」と大いに後悔しました。
人一倍多くの土地と多くの人に出会っているのに…、その刹那は一所懸命関わるのですが、その後の「ていねい」が大きく不足です。もっと出会いを「丁寧に紡ぐ」ことをするべきでした。
まだ人生は続くと仮定して、時間と周囲と「ていねい」に関わる生活をしていきたいものです。