可哀そうに!!で逃げている人生

私は後遺症がまだ残っている体ですが、「いつも前向きに明るく、決して後ろ向きに考えない。悪いことを想像しない」、これがリハビリを始めてからの家人との約束でした。色々なことがありましたが、この約束のお陰でここまで乗り越えてきました。

世の中そう簡単にうまくいくことはありません。人生は良いことも悪いことも終ってみれば半々だと思っています。今振り返ってそう思う今日この頃です。昔から言われる様に、「塞翁が馬」、「人生は糾える縄の如し」ということを実感します。

 

私が明るく前向きにいれば、周囲の人も少しは救われるし、気持ちも軽くなると思っていますし、そうなることを目指しています。区切り区切りで「終わり良ければ全て良し」と振り返れる、そんな人生を積み重ねたいです。

そのために、日々時間に余裕を持って、焦らなくて済むスケジュールの中で生きられるように考えて工夫しています。出来ないことは多いのですが、出来ない悔しさが思わぬ時に集団で襲ってこないように、生活の仕方も仕事も変えています。それを仲間や家人、妹のお陰で日々繰り返して行えるようになりました。

そして少しずつ落ち着いた生活が戻ってきています。私がうまく歩けないことも、左上肢が不自由なことも、いい意味で日常になってきました(もちろんリハビリは一所懸命に続けていますが)。

 

ところが!です。順調に進んでいるそんな日々の中で、私は時々無性に自分が「可哀そうに!!」と思えてくるのです。「好きな料理を思い切り出来ない。洗濯物を太陽の下で広げられない。両手で顔を洗えない」。日常の些細なことが出来ない自分を心底可哀そうに思ってしまう。そしてこんな私を家族として抱えている妹や家人も可哀そうだと大泣きします。

「生きているだけで幸せ、自分の本意でなく死んでしまった人間こそ可哀そう」。本当はそうなんです。「可哀そうな私」で自分の人生を逃げる私は卑怯者です。幸せな日々の中での甘えに過ぎません。生きていること自体が素晴らしい、たとえ五体満足でなくてもこの世に生かしてもらっていることは有難いことです。

同じ時代に縁あって生きている・生かされている人間(みんな仲間ですから)と比べて、右往左往しない自分でありたいです。可哀そうな私を人に押し付けたり、同情してもらうことを望んでいることは「自分の人生と対峙する」ことから逃げていることにほかならないのです。そんな反省も自分のためにしている今日この頃の私です。

 

 

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