●意識や行動を変えることの難しさ
企業の人材育成に関わって33年になります。同業他社の人には、「研修講師らしくない」とずっと言われていました。私がこの世界に入った頃は、女性講師のイメージは洋服は9号サイズで、綺麗な色のスーツを着て、お行儀の良い、どちらかというとキツネ顔の別嬪さんな女性でした。
でも私ときたら、170cmあって、狸顔、体育会系で、外股でドカドカ歩くようなタイプでした。
そんな感じですし、他の講師とは異なったユニークな人と長らく思われていました。クライアントの男性達からは猪突猛進の体育会系やバンカラさが重宝されたりもしました。ともあれ自分なりのスタイルを創って貫いてきました。
けれどもこの頃は、ユニークと言われることも、変わっていると言われることもメッキリなくなりました。
世の中が変わったのでしょうか? 私の所作や話し方、人や物事の見方、意見が今の時代にマッチしてきたのか? それとも周りが慣れたのか?
武道や芸道の世界に「守・破・離」の精神があります。守は師匠の教えを守って型を身に付けること。破は見に付けた型を疑って破ること。離は自分なりの新しい型を建立することです。
威風堂々と自分建立という言葉が好きな私は、無意識のうちに守・破・離を志向していたようです。育ててくれた先輩に「あなたは私にとって目の上のたん瘤です」と言った記憶が蘇ります。汗顔の至りです。
今、日本の社会は戦後続いてきた型を疑って破ろうと模索している只中です。安倍首相が「人生100年時代構想会議」の議長となり、この国のかたちを創りなおす。守・破・離の破、そして離のステージを目指しています。
それには痛みが伴います。今まで通りを望む人も多いです。でも長い視点で考えれば変えることを選択すべきなのです。若い世代は100歳まで生きて22世紀をその目で見るのですから。
私自身がこういった認識を持ったせいか、私たち個々人の意識や行動はなかなか変わらないモノなんだと、最近仕事の場面でも思うことが増えました。人には今まで通りが好きだという習性が誰にもあるのだと改めて実感しています。
特にベテランは自分を変えようとしても難しい。一本のレールを一直線でという人が多いからです。少しモノの見方を変えたら楽になるだろうにと思っても、今までの自分の実績やプライドが邪魔をして、かえって自分を苦しめる場面に遭遇します。
そういう人は世間の見方も人の見方も自分が中心です。自分から見たらこれが一番というスタンスにいるのです。時代や次世代から見て自分を変えるとか、襷(たすき)を渡すことの大事さを理解しにくいのです。というより、これまでの型を守り、自分を変えたくないのです。
自身を振り返れば、自分を変えてきたこと、それが守・破・離だったこと、そうやって生きたことは随分と周りを刺激したんだなと反省もします。でも、環境や時代に合わせて自分を変えることは、新しい気づきや世界を開かせてくれるとも思う今日この頃です。