心配事

叔父が亡くなりました。昭和4年生まれですから、決して若過ぎる死ではありませんが、病院に検診に行って、そこで倒れ、そのまま入院、翌日死亡…でした。突然の死という現実に叔母を初め家族は困惑していると思います。仕事の関係でずっと住んでいた水戸で荼毘にふせ、今度の日曜日に東京で葬儀をします。

勿論私も行きますが、発症して以来、初めて会う親戚も多いので少し複雑な気持ちで参加します。親しくしている従姉妹達はお見舞いにも来てくれたので、体の後遺症も分かっていますが、他の方達は情報としては知っていても、実際の姿は見ていません。

親戚の中でも、元気でお転婆で知られていた私のこの姿を80歳に手が届く叔母達はどう感じるのか?従兄弟達は何て言うのか?心配と不安があります。それ程行き来はしていなくても、自分の身内や親しい人間にはずっと健やかで元気でいて欲しいと思います。それなのに、私は…何だか申し訳ない気持ちで一杯です。

「60歳までに介助無しでも大丈夫な体を作り、家人や妹に余計な負担をかけない」という私の壮大な長期計画を皆は理解してくれるのか?この話自体を言ったほうが良いのか?私のプライベート生活の変化を何処まで話せば良いのか?親戚付き合いは難しいです。

色々な不安や心配事を抱えて人は生きています。子供の頃はモノを、世間を知らなかったので、心配事で不安の固まりになることがありました。仲良くしていた友達に急に「嫌い」と宣告されて、夜中に不安で眠れないこともありました。

大人になってからは様々な対処法を身に付けましたが、一つ一つの対処法が分ると更に心配事の範囲が広がったように思います。家人は「世間や他人の事で気に病むな」、「解決出来ない悩み事はするな」と言いますが、やっぱり色々悩みます。悩むのが、心配することが趣味にならないようにしなくちゃ!と妙な決意をしている今日この頃です。

 

 

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