食べるということ

前にも書きましたが、今現在、食事は外食か、家人に腕を振るってもらっています。

家人は「これがこの世の最後の食事になるかもしれない」と考えるタイプの人ですので、例えば外食でも、値段と味、見た目、そこで受ける接客対応、店内の雰囲気と客層、それらの「バランスと総合点」をとても重視します。400円の立ち食いソバを高いということもありますし、8千円の洋食を安いということもあります。

家ではなるべく旬の食材を食べることを大事にしています。

家人作:旬の天ぷら

グレープフルーツと甘夏

そういうパートナーがいますので、私も「食べること」について色々考えるようになりました。当たり前のことですが、私の体は私が食べたもので出来ています(私達はこの単純明快な事実を忘れがちです)。だから食べることを疎かに出来ません。お腹が満たされただけではダメなのです。

入院中は、食事は治療の一環ですので、塩分と脂肪控えめの栄養的にはバランスの良い食事を提供されていました。お陰様で体重も適正値に戻りました。でも病院食ですので、器はプラスチック製ですし、色合いや盛り付けに工夫はありません(贅沢を言えばキリがありませんが)。それに食べる時の環境は、皆さん黙々とおしゃべりも殆どせずに…。栄養的にバランスが良くても、食べることに楽しさはありませんでした。

家での食事は別段贅沢なものではありませんし、病院の食事ほど栄養バランスは計算されていませんが、食べる楽しさはあります。「この野菜は季節を感じるね」「今日は脂肪の摂りすぎだね」「塩分きついんじゃない?」「次回で調整しましようね」、そんなことを言い合いながら、食べるという行為を意識出来ているからだと思います。

「生きるということは食べ続けること」です。食事の内容と、美味しく食べる・楽しく会話しながら食べることは、毎日のことですからとても大事です。食と会話は「生きる力」を作ります。充実した人生を生きるうえでとても大切です。

社会人になってから働く期間の約40年間は「体と脳」を酷使します。その間、毎日3回、約四万回の食事をします。体は食べたもので作られますし、脳は美味しく・楽しく食べることで活性しますので、この四万食の善し悪し(「バランスと総合点」)はとても重要です。

そのように考えれば、毎回何を食べるのか?食事をどう楽しむか?誰と共にするか?これがとても大事なことだと思えるのです。

 

 

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