家族・この不思議な集まり

家人の父の葬儀も終わり、戻った家人から色々話しを聞きました。家人は自分も知らなかった父の話しを親戚の人から仕入れたようです。冠婚葬祭の時くらいしか親族と会うことがない家人には、今回の父の葬儀は沢山の思いを感じた時間でもあったようです。

家族の温かさ有難さ、家族故の面倒さなど、様々なことが、この一番親密な世界では起こります。母が仕切っていた私の家族集団は、母が亡くなった後は、残された父と子供のゆるい集団になり、厳しいルールも規律もなく、好き勝手に運営されてきました。父は母を失って悲しかったでしょうが、この自由気儘な雰囲気にノビノビ好き勝手に馴染んでいました。

今回私に後遺症がまだあり、父は自分がのんきにして居られない大変な状況だと認識しているようで、時々「まだ病院に入っていた方がいいんじゃないか」等、勝手なことを言っています。心配はしていますが、面倒なことになって困ったと思っているようです。

家人も私も50代で、世間的には自立した人間です。でも生まれ落ち一緒に暮したそれぞれの家族集団には戸惑ったり、喜んだり、困らせられたりしています。愛着は勿論根強くあって、今の自分の生活とどう折り合いをつけるのかを未だ模索しています。

人は一人では生きていけません。支えあって生きています。だからこそ「掛け替えのない」(=「替えの利かない」)家族の有り難さが身にしみます。「有難い」(=「有るのが得難い」)存在です。それ故に大変なこと、面倒なこと、理不尽なことも多いのです。

家族とは受け入れるしかない、拒否できない存在なのです。縁あっての不思議な集まりです。これからはもっと「受け入れ上手」にならなければ…と、そんなことを思う今日この頃です。

 

 

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