見えないもの、分からないもの
私にとって、怯えるという感情は「不可解なものの存在」がその根底にあるようです。
病気になって麻痺が残った時に「将来自分の身体はどうなるのか?」という疑問に応えてくれる人はいませんでした。脳からの指令が届かないから身体が自由に動かない…そんな現状認識しかありませんでした。自由が効かない自分の身体に怯えていました。でも発症からほぼ一年経って、自分が経験したことで色々なことが分かってきました。
麻痺は厳しい病気ですが、どんなものか自分なりに理解できたので、今は、怯えはありません。脳梗塞の再発に怯えるのは、そもそも昨年の発症の原因が明確でないことと、生活習慣の改善は進めていますが、その効果は分からないからです。またお医者様でも明快な答えがないものに、医学的には素人の私が答えを求めるのは難しいです。
でも、実は見えないもの、分からないものは世の中には五万とあるのです。その方が自分の知っているものより多いのです。病気や健康だけではなく、人生も仕事も愛も自分の心も…見えないものだらけ、分からないものだらけです。それら全てに怯えていたら精神が持ちません。「誰も教えてくれないなら自分で考えて、自分なりに理解しよう」そう思ったら怯える気持ちが減りました。もう一つ「何でも深く理解しなくては厳しい」と思い込むことをやめたら心が軽くなりました。
更に怯えの原因である「見えないもの、分からないもの」は、実は自分の興味ある分野だと気づきました。リハビリが中心の今は、時間がかなり自由になります。本も沢山読めます。せっかくの機会を使って、興味のある分野の勉強をしています。怯えと対峙することは元気の基になるような気がしています。