●威嚇的な存在

 

パワハラまではいきませんが、どうしても付き合うのが嫌な上司とか、苦手な先輩はいませんか?

 

言い方だけでなく、態度も、対応も堂々としているのを超えて、威嚇的 ―― そんな人は実は、自分がとやかく言われることが苦手だし、怖いのだと思うのです。

 

常に自分の価値観を曲げずに、まるでそれが唯一の答えであるかのごとく発言し行動するのは、他者に付け入れられたくない、そんな隙を見せないためのようです。

 

私はこういう人は、社会人として未熟だと思うのです。でも意外にも、組織では珍重されていたりします。ここまでの態度や発言だから、何かしら優れたものや良いものを持っていると勘違いされている。そして本人も勘違いしているのです。

 

ここに、悲劇の種があるのです。人と関われないから、社会人として未熟なまま、年齢を重ねてしまう。そして周囲と自分の勘違いで、今の自分を高く評価してしまう。

 

ところが、なのです。ずっと同じ環境が続けば良いですが、現在の組織を卒業すると途端に、まるで使えない人間であることを、否応なしに自覚させられる。今まで何をしてきたのかと、これでもかと思い知らされる。

 

それは哀しいと思いませんか?

 

別に、周囲に愛想をふるまうことも、媚を売ることも、遠慮することもありませんが、自分以外は皆、自分とは異なるものを持っていること、そしてそれを知ることは楽しいことであり、大いに付き合う価値がある存在であることを認めて欲しいのです。

 

常に、「自分が、僕が、私が」を押し出すのではなく、相手の存在を受け入れること、相手の話を聞くこと、興味と好奇心を持つようにしてもらいたいのです。

 

人は人によって磨かれます。人と出会っているこの時、このチャンスを自ら潰して欲しくないと、中高年の問題に関わったり、見聞きすると痛感する今日この頃です。

 

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