●人は孤独に弱い
親が老いる、病む、ボケる。自分が体調不良になる。私ぐらいの年齢になるとよくあることですが、誰に相談すれば良いのか?が分からないと、途端に不安に陥ります。
組織の運営に疑問を持つ、部下の指導に煮詰まる。これもよくあることです。一人で考えると、一気に不安が募り、疑心暗鬼にも陥ります。
人は決断する時に相談できる人がいないと、不安や疑心暗鬼の渦に巻き込まれるようです。更に、そこから起きてもいないことに妄想をめぐらせたりして、訳が分からなくなっていきます。
たとえ最適解と確信出来るものが見つけられなくても、意見を聞いたり、自分の考えを少しでも理解してくれる人の存在はとても大事です。聞くほうの身になれば迷惑かもしれませんが、「私は一人ではない」と思うだけで、次の一歩が踏み出せます。
そして研修の場でも、たびたび登場するのが、人が生きていくために不可欠な「メンター」という存在です。耳にされたこともあると思います。
メンターは、ギリシャの詩人「ホメロス」の書いた「オデッセイア」に出てくる、老賢人の名前「メントル」から来た言葉とされています。メントルは、オデッセウス王が遠征をしている間に、息子のテレマコスの帝王教育を任されました。この由来から、メントルが英語で「メンター」と言われるようになったようです。
私は、メンターとは「良き指導者」「良き理解者」「良き支援者」としての役割を果たす人のこと、だと思っています。
人は孤独に弱い生き物です。公私に渡りその様な存在は必要だと思うのです。一人で深い穴に落ち込まないためにも、今日を明るく生きるためにも、自信を持って歩き出すためにも。
それに40代、50代は人生の折り返し地点に当たります。これまでを振り返ったり、これからについて考えさせられる時期です。公私において様々な転機が訪れます。決断も迫られます。
自分を見失ったり、転んで怪我をしたりせず、明るく堂々と生き抜いていくためには、メンターと呼べる存在が是非とも欲しいです。そこで提案したいのは、互いにメンターになることです。
多くの人が、お互いにメンターになれれば、もう少し世の中は生き易くなるのではと思うのですが、いかがでしょうか?