西行法師の忌日
小さい頃から桜の花が好きでした。風に吹かれ花びらが飛び交う姿が特に好きでした。
大学は四ツ谷にありましたので、桜の花には困りませんでした。満開の桜に見守られるという4年間を過ごしました。春になると、土手沿いの桜を眺めていて、友人たちに「何をボーっとしているんだ」とよく声をかけられました。
社会人、特に研修業界に入ってからは、4月は新人研修で忙しく、気がつけば葉桜という有様でした。でも電車から見える満開の桜でも満足でした。
何故桜が好きなのか?惹かれるのか?は分りません。
平安末の歌人、西行法師の「願はくは花のもとにて春死なむそのきさらぎのもちづきのころ」には何故か共鳴してしまいます。天声人語にも書かれていましたが、昨日(旧暦の2月16日)が西行法師の亡くなった日です。「如月(きさらぎ)の望月(もちずき)のころ」(2月の満月の桜咲くころ)に願い通り、花の下で息を引き取ったのでしょう。
人は桜に何を感じるのでしょうか?
ちょっぴり動くようになって喜んでいた左手は、油断すると硬く固まってしまいます。開花宣言を聞いて心が浮かれていたら、一昨日昨日のまるで冬に帰ったような花冷えの訪れです。こんな日には特に厳しい状態になります。
でも今の私はこれから満開を迎えようとする桜に、私の「春の訪れを期待」しています。暖かな日差しの中で咲き誇る桜に自分を重ねたいと思っています。春爛漫の「花よ来い、花よ恋い」と想う今日この頃です。