●岐路に立つ醍醐味
ある管理職はご両親の介護のために、退職か否かの岐路に立っていました。 実家に住んでいる両親の面倒を見られるのは一人息子の自分しかいません。東京に住む奥様の母親も介護が必要で、奥様はそちらに専念している状況です。
退職して自分が故郷に帰ることも考えていました。お子さん三人のうちまだ一人は学費がかかります。なので介護の費用を無理して捻出するよりも、自分が戻って面倒をみた方が良いのではと考えていました。地方都市なので何らかの仕事は見つかるだろうと考えているようでした。
けれどもよく話を聞くと、今の職場で居場所が無くなってきていることが、彼の退職を後押ししているようなのです。50代も半ばになると、職場での役割が変わってきます。それに対応しきれない人も出てきます。
職場では30代・40代の後輩達が新しい波を起こしています。自分もその波に乗るつもりだったのが、海岸からその波を見るしかできない。その現実に耐えられなかったのです。先頭に立ってとは言わないけれども、波を起こし、波に乗っていた自分が傍観者の立場になったことに気付いたのです。
そんな時に出現したのが、親の介護。自分の役割は、居場所は「ここ」ではなく、「そこ」にあると思ったようなのです。
確かに、人生は仕事が、会社が全てではありません。ここを退職しても食べていけるなら、それも一つの選択肢だと思います。
でもです。岐路に立ったことを好機とし、一度立ち止まって、自分の人生を考える良い機会にしたらいいと思うのです。こちらがダメだからあちらでは、同じことを何回も繰り返すことになってしまいます。次から次へと起こる状況に振り回される習慣が身に付いてしまうことになってしまいます。
せっかく出会った岐路なんだから、自分にとってのチャンスと捉え、ここで自分にじっくり向き合って、これからの生き方を考えて欲しいと思うのです。それに50代半ばというのは、人生の中間点を超えたばかり、後半人生が始まったばかりです。
波に乗れなければ、また能力が追い付かないのであれば、他の役割だってたくさんあるはずです。親の介護だって、一人で抱え込むのではなく、他のやり方もあるはずです。
一つのことに囚われずに、多方面から考える良き機会と思い、大いに考えて、岐路に差し掛かったことの醍醐味を噛みしめ、そして喜んでほしいと思うのです。