これまでの経緯

2009/12/8  新幹線車中で倒れる
12/8-12/28 「三島社会保険病院」入院
12/18   「自分建立」 (江尻みどり108つの見方・考え方)脱稿
12/28-2010/1/19 「イムス板橋リハビリテーション病院」入院
1/19-2/5 「河北リハビリテーション病院」入院
2/5    自宅でリハビリ開始     

 

1)脳梗塞で倒れましたが、心は元気です。

人生、本当に一寸先は闇です。私にドラマが訪れたのは2009年12月8日のことです。

出張帰りの車中で突然に発作が起こりました。左半身が痺れ、次第に全身が脱力し、座席からずり落ち、気を失いかけました。私の人生も「もはやこれまでか」と一瞬ですがそう思いました。周りの見ず知らずの人達の助けを得て、新幹線こだまから三島駅で急遽途中下車です。救急車が、三島社会保険病院に送り届けてくれました。

病名は一過性脳虚血発作です。精密検査の結果、脳梗塞だとわかりました。幸いにも記憶障害や言語障害はありませんが、左の手足の自由が利きません。自分の腕の重さで肩が脱臼してしまいます。

人生初めての試練です。

20数年間、講師として年間180日の研修を元気にこなし続け、健康保険証を使ったことのない超・健康体の私が、「なんでこんな目に遭わないといけないの」と心の底から思いました。

でも心は折れていません。毎日リハビリに励んでいます。今までのような姿に戻れるかはわかりませんが、これも運命が私に与えた必然です。きっと私の人生にプラスになるはずです。今の状況は私のこれからの人生にとっての必要なステップだと思っています。

今自分が置かれている状況を、大切なご自分の人生を生きている皆さんに伝えたいと思います。健康の大切さ、脳梗塞の現状、病院の実態、体が不自由になって見えてきた世の中の仕組み・・・少しでもお役に立つブログにします。でも病人の暗いブログではありません。

私事中心の内容で恐縮ですが、再生の明るさを皆さんにお伝えしたいと思っています。

2)私はここにいる、拒否しないで!

脳梗塞になって一番に堪えることは、左手が動かないことや左足が不自由なことでもなく、自分が世間から置いてきぼりになるという焦燥感です。仕事をバリバリしたいというのではなく、世間に参加していたい、何らかのかたちで社会に関わっていたいと強く思うのです。

忘れられたくないなと痛感するのです。人は承認欲求が強いということを部下指導の研修でよく話します。それは本当のことだけど、自分の存在が認められなくなる真の恐怖のことまでは知りませんでした。

それに、車椅子対応のトイレが無いレストラン、段差の高い道路、そんなものも自分の存在を否定しているように感じた時期がありました。

3)私は過去のA子さんではありません。

言葉で人を潰すことは簡単に出来ることを痛感しました。

今回入院していた病院で、脳神経科の医師を筆頭に看護師・理学療法士・作業療法士・ソーシャルワーカーのチーム体制で2週間経過した時点で、突然遅れてやって来た、経歴も実績も何ら説明されていないリハビリドクターに、「今までの経験でいうと、もう左手は動かない」と言われました。

確かに、年齢も体力もすべてひっくるめた過去の統計上のデータではそうなのかもしれませんが・・・。

日々の小さな変化や動きに喜びと希望を見出して頑張っている人間の今を、「ひと言の言葉」が打ち消しました。「先生の目の前にいる私の生身の姿を見てください」と叫びたい衝動が走りました。

これで私の腹は決まりました。

4)目標があると辛い現状も楽しみになる。

今私は、家でリハビリをしています。一般的に回復期の患者はリハビリテーション病院に入院して、毎日2時間程度のリハビリを受けます。その時は世間との関わりは少なくなります。社会復帰を目指す者としてはとても辛いことです。またマッサージやハリなどの総合的な治療を施したいと思っても制約があります。また入院には想定した以上にかなりのお金が必要です。

それらを総合して退院を決めました。家での生活は病院と違い、その都度予約して所定の場所に出向かないとリハビリが受けられない、毎日三度の食事のことを考えなければいけないなど不便なところも多くあり、大変ですが、刺激は多いです。

私の場合、住居と同じビルに自分の会社もあるので、仕事場にも時々顔を出しています。リハビリは良いと言われるものは何でも、片っ端から試しています。大事なことは、自分なりの目標と計画を持って前向きに取り組むことだと思います。

5)携帯メールの効用

倒れてから、一番嬉しかったのは、友達からのメールでした。初めに運びこまれた病院が個室だったので、携帯電話を使うことは制限がありませんでした。最初のころは頭が混濁していたせいもあり、うまく打てませんでしたが、友人達からは毎日何回もメールが来ました。

初めは「心配している」や「ガンバレ」という内容でしたが、そのうちに、今日の夕飯の献立や、見た映画の感想、会社で困ったことなど、彼女たちの日常のお知らせになってきました。

それが、私の脳を刺激し、社会との窓口になりました。携帯メールの文章を考えるのが、とても刺激的なリハビリになりました。中高年のメル友の姿ですが、誰もが皆、絵文字もうまく使えるようになりました。

明日からは
日々の出来事や思ったことなどを
綴っていきますので、お楽しみに!

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