実感しないことの怖さ

旅行中の日経新聞に「人口減社会の未来図」という記事が載っていました。その中で「人口置換水準」(人口が減少に転じる出生率=2.07)以下になったのは36年前の1974年以降と書いてありました。驚き!です。私が十代の頃から起きている問題だとは思ってもいませんでした。

1974年までの日本は若い世代(これから子供を生む年代層)の人口が大きく、一人当たりの出生率が減少しても、死亡数より出生数の方が多く、2004年までの30年間人口は増え続けていた「だけ」だったのです。

人口成長のエンジン(国の動力源)が止まり、しかも1974年から深く静かに逆回転していたにも関わらず、表層的には人口自体は増え続けていたため、30年もの長い間、「出生率水準の深刻さ」が実感できなかったのです。このことは今回の大雨がきっかけで臨界点を超え突然起こった「深層崩壊」を彷彿させます。

これから「真逆」のことが確実に起こります。今は若い世代(これから子供を生む年代層)が少なく、中高年世代が圧倒的に多くなったので、例え出生率をいくばくか押し上げても、出生数より死亡数の方が多く、人口減は避けられない。長い間、問題の先送りをしてきた今となっては、少子化対策を講じて出生率エンジンをふかしても人口減を止めることはできません。

仮に(非現実的ですが)現在の出生率1.37を2.07まで一気に引き上げ、この水準を維持し続けたとしても、何と!人口は2070年まで(向こう60年間)減少し今の2割減になるようです。

現実的には人口減の幅は年々拡大し、10年後からは100万人規模で毎年人口が減少します。浜松や堺、新潟市のような比較的大きな都市が毎年一つずつ無くなるという話です。少子化対策を今から講じても手遅れという話です。

この記事を読んで、家人と話して思ったのが今回の題です。人は頭でぼんやり考えたり、分っていたりしても、核心を自分でキチンと掴んで正面から対峙しないと実感は出来ないようです。いくら情報を入手したり提供されても、それを自らしっかり見て、選択して、考えて、理解しなくては、見ていても目隠ししているのと同じなのです。

関西旅行の時に、大阪在住の友人の娘と会いました。彼女は今浪人中ですが、予備校で勉強の面白さに目覚めたそうです。毎日勉強するのが、楽しくて仕方ない様子でした。彼女は勉強することの面白さを実感したのです。私は倒れて健康の有り難さを今は実感していますが、一年前は分っていませんでした。ぼんやりと健康な自分がずっと存在するものと思っていました。家人や周りから生活習慣を変えることをアドバイスされても、自分の中にそれを実感出来ていませんでした。

長い間、人材育成の仕事に関わっていますので、今後は一人でも多くの人にこの「実感」する経験と必要性を知らせなくてはと思っています。実感すれば、現実から逃げて問題を先送りしたり、やたらと将来を悲観したり、対症療法でお茶を濁したりすることもなく、問題の根本解決策を見出し、そして実行に移すことが出来ると信じています。

そのためにも「実感できる研修、セミナー」とはどういうものなのかを、試行錯誤しながら、生み出したいと思っています。

 

 

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